レディ・ガガ主演で話題を呼んだ映画『ハウス・オブ・グッチ』。いわずとしれた世界的ブランド「GUCCI」を創業したグッチ家の人間はなぜ今、一人も経営に携わっていないのか。三代目社長はなぜ、妻の手で暗殺されねばならなかったのか。一族の確執を描いた同作は3時間近い長尺ながらも多くの視聴者から高評価を得たが、実は、映画で描き切れないほど複雑に絡み合った人間関係と、ファッション業界の変遷が、その裏には隠されていた――。ファッションに精通し、原作となったサラ・ゲイ・フォーデンによるノンフィクション『ハウス・オブ・グッチ』で、上下巻にわたる同作の翻訳をつとめた実川元子さんに、グッチが世界的ブランドとして生き残った理由から、高級ブランドが大衆化した要因まで、お話をうかがった。(立花もも)
■グッチ家の争いはなぜ始まったか
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――映画はレディ・ガガ演じるパトリツィアが、グッチ創業者の孫であるマウリツィオと結婚し、望むすべてを手に入れようとする強欲さと執念が破滅を招く……という物語でした。エンターテインメントとしてすごくおもしろかったですが、原作とは違うところも多々ありますね。
実川元子(以下、実川):よくできた映画だなと思いました。翻訳した側としては、原作との違いに驚きもしたんですけれど、あれだけ複雑に、人間関係とファッション業界の歴史が絡み合ったお家騒動を、一本の映画にしようと思ったら3時間どころじゃおさまりませんからね(笑)。ただ、原作ではパトリツィアが主人公というわけじゃないものの、彼女の常軌を逸している感じは訳しながらもひしひしと伝わってきましたし、「なぜここまで……」と驚くほどの彼女の執念が、恋愛を主軸に語られることで、私自身も少し腑に落ちるものがありました。
――どんなところに、常軌を逸したものを感じたのでしょう?
実川:彼女はとにかくお金に執着しますよね。生まれが貧しいというわけじゃない、むしろ、グッチほどではないにしても父親は運送業で名を成していて、何不自由ない生活を送っていたはずなのに、実の母親との関係もけっきょく、お金が原因でこじれている。マウリツィオと離婚したあと、娘のために振り込まれた、日本円にして何百万というお金を、自分の贅沢のために使い切ってしまったり……。でもいちばんぎょっとしたのは、マウリツィオ殺害を指示した罪で捕まったあと、刑務所でもやりたい放題で、ペットを飼わせろとゴリ押しして、しかも飼うのがフェレット! さらに出所後に、パパラッツィに追いかけられているのを承知しながら、オウムを肩に載せてショッピングするという。
――あれは私も、読んでいてびっくりしました。
実川:彼女の言動は、理屈じゃ測れないんですよ。離婚する前だって、自分の立場を守りたいならそんなこと絶対しないほうがいい、ということをしてしまうし……。でも、ただの考えなしだったかというと決してそうではなく、ある意味ものすごく計算して行動する女性だったのだろうということも伝わってくる。戦略を練るのはとてもうまいし、実際、マウリツィオはパトリツィアがいてくれたことで父と和解できたし、伯父の引き立てを受けてニューヨークでビジネスを学べた。「それなのに、どうしてそっちに行っちゃうの?」という行動の不可解さが、異常なものとして映ってしまう。
――嫁いだ先がただのお金持ちではなく、ラグジュアリーブランドを確立した一家だ、というのも大きいのかなという気はしました。人の虚栄心というものを強く刺激するのかな、と。
実川:今でこそグッチも他の高級ブランド品も、一般人でもお金を払えば買えるものになりましたが、もともとはヨーロッパの厳然たる階級社会を象徴するものだったんですよね。私は1974、5年ごろ、ちょうど日本で第一次ブランドブームが起きていた時期に、フランスに留学していました。当時、日本から来た団体客のためにグッチやエルメスのお買い物ツアーに付き添うアルバイトをしたことがあります。そのときわかったのが、その頃の日本の人たちはただバッグやスカーフを欲しがっているわけじゃないということ。そのブランドが象徴している“クラス”……自分たちは上流社会の一員なんだという証を、バッグやスカーフを買うことによって、手に入れたかったのだと思うのです。私も当然ブランド品が欲しくて、グッチのバッグをバーゲンで買ったことがあります。そうしたらフランス人の友達に「ブランドロゴが入っているだけで10万円もするバッグを買って嬉しがるなんてどうかしてる。だいたいにおいて、思想として間違っている」とぼろくそに言われたりもしました。「王族にしか買えないようなものを欲しがるということは、民主主義を否定し、階級社会を受けいれているのと同じだ」と言いたかったのでしょう。
――なるほど……。
実川:私も、なるほどと思いましたけど、ブランド品を欲しがる人たちの気持ちも否定することはできなかった。それともう一つ印象に残っているのは、もっと安くて品質のいいものが他にあろうとも、ブランドのロゴがついているというだけで価値があがるというこの仕組みは、いずれブランドの明日を救うことになる、と言われたこと。実際、それでいちばん救われたのが、グッチだと思います。
――どれほど内部が崩壊しようとも、デザインが乱れようとも、それがグッチであるという価値が守られている限り、存続することはできる……。
実川:そうするうちに、みんな、気づいてしまったんですよね。王族しかもてないような高級品を、庶民である自分たちが手に入れることによって、間接的に階級社会の枠組みをひっくりかえすことができるんだということに。だから、パチモンと呼ばれる安価な偽ブランド品も横行するようになってしまった。さらに、ブランド側のほうも、そこに鉱脈があると気づいて、90年代から価格帯を落としたセカンドラインを出し、高級ブランドの大衆化が始まった。これはある意味でブランドの堕落、本来のあり方の終焉の始まりだったわけです。グッチ家には、それがわからなかった。マウリツィオの伯父であり、二代目社長のアルドは非常に優秀なマーケッターでしたが、あれほどブランドをつくることに長けていた彼でさえ、時代の流れを見抜けなかったということが、グッチ家に起こるすべての争いの始まりだったのだと思います。
――映画にも、アルドが日本の御殿場にグッチの支店を出そうとして、弟……マウリツィオの父に反対される場面がありましたが、彼はむしろ積極的に大衆化を狙っていましたね。
実川:原作にも、1974年のインタビューでアルドが〈日本人のお客さまは貴族〉とコメントを残したことが書かれていますが、高級ブランドの大衆化に一役買ったのが、やっぱり日本人です。映画ではニューヨークの支店にスーツで買い物にくる日本人客も登場しますが、実際はたぶん、アーノルドパーマーのゴルフシャツを着た観光客が、何十万もぽんっと支払うもんだから、グッチの人たちはびっくりしたんじゃないでしょうか。
https://www.rasupakopi.com/gucci_z22.html
――〈外見はたしかにいまひとつさえないかもしれませんが、あの方たちは貴族なんですよ〉というアルドのコメントに、笑いました。
実川:でもアルド自身……というか、グッチ家の人たちも、先祖代々由緒ある家系のお金持ちではなく、成りあがった人たちですからね。創業者のグッチ・オ・グッチは高級ホテルでベルボーイとして上流階級の人たちの旅行鞄を運ぶうちに、革製品がステイタスを表すものだと知って事業をはじめた。彼は麦わら帽子を作っていた職人の家の出身ですが、グッチをブランドとして上流階級や富豪に売るために、グッチ家は中世から続く王族の馬具職人だった、というストーリーを作って上流階級に溶けこもうとした。そう思って観ると、映画に登場するグッチ家の豪邸も、着ているものも、他者に見せつけるような装飾が多い。成金趣味を見下しながら、実は自分たちも同じことをやっている……というのは皮肉なことですね。
――そういえばパトリツィアも、最初は自分に似合うものをよく知っている、という感じだったのに、だんだんとアピールの強い服装と生活に変わっていきましたね。
実川:もしかしたら彼女は、グッチ家の人たち以上に階級の重要性がわかっていたから、大衆化に流れるグッチ家の方針に怖気をふるったのかもしれない。「お金も知名度も十分あるんだから、大衆に媚びる必要なんてないでしょう? ブランド価値が下がってしまうじゃないの!」というふうに。
――その方向性の違いもきっと、マウリツィオと決裂した理由の一つだったんでしょうね。原作で、株を売却するしかないところまで追い詰められたアルドが、敵ともいえる相手方に、旅費と宿泊費の請求書を送る場面がありました。それについて放たれた「グッチらしいですよね」という一言が、非常に印象的です。
実川:『VOGUE』というハイクラス雑誌がありますが、70年代くらいまでは貴族や富豪の令嬢たちが、自分たちのためのファッション情報を、自分たちのクラスと共有するための媒体だった。ところが80年代以降、自分でお金を稼ぐリッチな女性たちが増えてきて、編集部にもキャリアを求めて働く庶民の女性たちが入ってくる。そんな一人があるとき撮影に使った衣装を「すごく素敵! それいくらするの?」と富豪令嬢の編集者に聞いて場が凍り付いた、という逸話があるんです。『VOGUE』が取り上げるのはただの「グッチコピー」ではない、だから値段を聞いたり、撮影費を計算するのは、恥ずべきことだったわけです。でも映画では、そういう時代に、高級ブランドのオーナー社長が、出張費の請求書を、株を売却した相手先に送ってしまう。そこがやっぱり、グッチらしいんですよ。商売がうまくて、お金は稼げたけれど、上流階級出身者ではないからお金にうるさい。その割に、新しいブランドビジネスに適応できなかった。だから一族もブランドからは追放されてしまったわけです。でもそういう彼らが作り上げたからこそ、大衆化が進んだ今も、ブランドとしては生き残っている、という側面もあると思います。
――高級ブランドが大衆化した一番の原因は、なんだったんでしょう。日本人のように、欧米の上流社会ではなくとも買える人たちがいる、ということが、国際化によって露見したから?
実川:一番大きかったのは、LVMH(ルイ・ヴィトンやディオール、ロエベなどのブランドを抱えるコングロマリット企業)がDFSグループ(空港などで免税店を展開する企業)を傘下に置いたことだと思います。ハワイに自社のブランド商品を集めた免税ショップを建て、航空券と抱き合わせたツアーに参加した観光客を、現地到着後すぐにショップに連れていく仕組みを作りました。DFSのショッピングモールでは、ファッション製品だけでなく、酒、化粧品、菓子など、さまざまな商品分野のブランド品が免税価格で購入できます。ブランド品は自国で購入するよりお得感のある価格で買えるし、旅行に出て財布の紐がゆるむ観光客にブランド品を買わせるマーケティングも成功しました。そうやって売上の仕組みを作ったことで、ブランドは洗練されたデザインや、伝統やハイクラス感という価値を売るものではなくて、株主を満足させる道具になっていった。当然、それまで保たれてきた高級感は薄れます。とはいえ、ブランドの大衆化自体が悪いこととは私は思っていませんし、誰もが知っているブランドが大衆化したことで果たせる役割もあると思います。たとえば、サステナブルなファッションを推進するとか、ジェンダーレスなデザインを積極的に打ち出すことで、社会の多様性を押し広げていくとか。